生い立ちから振り返って、webや情報発信の仕事をする理由

私が書いています

吉岡

Web制作・Webマーケティングを仕事にしているお腹の弱い30代・アンカーリンク代表。Webやビジネスのことを中心に、日々の生活のことや持病のことなども情報発信しています。クローン病歴10年以上。

こんにちは、ヨシオカです。
突然ですが、人のストーリーって気になりません?
人の経歴や、なんでその仕事をしてるのかの経緯だったり。

僕はすごく気になります。
例えば

  • 仕事で初めてお会いした人について
  • ネットでどこかのお店や会社を調べた時に、HPに掲載されている社長やスタッフについて
  • こどもの保育園の送り迎えで一緒になって挨拶した他のおうちのお父さんやお母さんについて

会う人全員といっても良いくらい気になります。
決してプライベートな過去の話を詮索したいっていう気持ちではないんです。
その人が

  • どんな地域で育ったのか
  • 頑張ったこと
  • 苦労したこと
  • 好きなこと

そんな色々経験してきたことなどを知ることで、その人の魅力がたくさん見えてくると思うからです。

この話をし出すとすごく長くなるので別の記事でまた書くとして、今回は僕自身のそうした過去について紹介していきたいと思います。
僕に至ってはその中から魅力がたくさん見えるかどうかはわかりませんが(笑)

でも共感していただけたり、僕がこの仕事をどういう思いでやっているのかについて少しでも理解していただける方と繋がれたらと思います。

幼少期:京都の片隅で生まれる

1985年に京都府のはしっこ「京丹後市」という海と山に囲まれた田舎で生まれ育ちました。
ひとりっこということもあって、家ではひとり絵を描いて遊ぶことが多かった幼少期。

中学生時代:家にインターネットがやってきた

中学生だった2000年頃。ある日、我が家に初めて、富士通のノートパソコンと共にインターネットがやって来ました。

そこで「お絵描き掲示板」に出会いました。ネット上で知らない人たちとチャットをしたり、ブラウザ上のお絵描きソフトで絵を描いて見せ合って交流するような場所でした。
マウスでひたすらカチカチカチカチッ、カチカチッ、と絵を描いてアップしてみました。

それまで自分ひとりでチラシの裏に絵を描いては、親に「上手だね」と言われる程度だったのが、会ったこともない知らない人に絵を見せて「上手ですね!」と言われたので、すごく嬉しかったことを覚えています。
すっかりハマってしまって、夜な夜なお絵描き掲示板で、カチカチカチカチッカチカチッっと、ドラゴンボール、ジブリ、あだち充の漫画などの絵を模写してはアップして、顔も住まいも知らない人たちとチャットで楽しくやりとりしていました。

でも当時はまだネットが定額料金でなかった時代。数万円のネット料金の請求が来てしまい、親に気絶するほど怒られてあえなくお絵描き掲示板から引退しました(泣)

高校生時代:ネットショッピングの凄さを知った

中学~高校と陸上部で長距離に打ち込んでいて、憧れの先輩みたいな長距離用スパイクが欲しくなりました。
でもド田舎に長距離用スパイクなんて売ってるお店はありません。

手段はネットしかないので、検索して楽天で見つけました。
今ほどネットショッピングが当たり前ではなかった頃なので、そもそもちゃんと来るのか?と疑ったりもしていましたが、杞憂に終わりました。
なんとド田舎なのに2、3日後には届いたのです。

早っ!ネットってスゲー!
田舎でもネットだと欲しいものがあっという間に手に入ることに本当に感動しました。

大学生時代:mixiをはじめ色んなwebサービスとの出会い

SNS「mixi」が流行り出したのが大学1年生の頃。
招待制だったmixiに友達から誘われるも、「流行っている」と言われると、本当は興味めっちゃあるのに「いやぁ別にいいわ~」と興味ないふりをして断っていました(あまのじゃくな性格ですw)

そうこうしているうちに周りの友達みんなやるようになり、会話にもついていけなくなったので、始めてみることに。

そして結局ドはまり。SNSスゲー!!
と同時に、もっと早くやっておけばよかった!と激しく後悔しました(笑)

友達や気になる女の子の日記・コミュニティを見たり、自分でも日記を投稿したり。
自分の投稿を読んだ友達から「おもしろいね」とコメントをもらえたりすることが嬉しかったり。

でも次第に評価や反応を気にするようになり、だんだんしんどくなってmixiを卒業。
今でいう「いいね疲れ」ですね。

とはいえ「やっぱりネットスゲー」って気持ちと「もっと早くやっておけばよかった」という後悔の思いだけは強く残っており、「今後もし新しいwebのサービスがあったら、すぐにやってみよう…!」と固く心に誓いました。

そのことがあり、以後世の中に広まり始めたyoutube、アメブロ、googleなども学生時代から積極的に利用していました。

就活をしていた頃、病気に

就活をしていた4年生のある日、体調の異変を感じました。病院に行き、色んな検査をした結果「クローン病」という診断を受けました。
クローン病とは厚生労働省によって難病指定されている、消化器官に炎症などが起きる病気。現在でも根本的な治療方法は見つかっていません。)

消化器官の病気ということもあり厳しい食事制限を課せられることに。それまで当たり前に食べていたものの8~9割が食べられなくなり、それを一生続ける生活がスタートしました。
「なんで自分なんだろう」と病気を受け入れられない気持ち、将来や自分の体はどうなるんだろうという不安でいっぱいでした。

それらを振り払うために入院しているベッドの上で、ガラケーで病気について検索を繰り返していました。
「同じ病気の人でも実は治った!って人とか、不自由なく生活している人とかいないのかな?」と。
でも出てくるのは、その時の自分にとっては辛すぎるネガティブな情報ばかり。
手術や治療の内容の大変さ、手術率の高さ、合併症、普通の生活が送れない患者さんの情報を見て、心を打ち砕かれていました。

「僕の人生は、終わったな…」と。

大学院時代:我が黒歴史(笑)

就職は難しいと判断し、親に甘えて大学院に進学させてもらい、学生を続けました。
でも厳しい食事制限から来るストレスも大きく、自分自身が病気を全く受け入れられないままでした。大学院でも「勉強したい!」という強い思いを持って進学したわけでもなかったため、周りの環境にも馴染めず、どんどん精神的にもしんどくなっていきました。(現実逃避して大学院よりゲーセンに通うこともしばしば爆)

この頃図書館のビジネス誌で知ったのが「twitter」。mixiブームに出遅れた反省を活かして、すぐにアカウントを作成。
同じ病気の人とつながり、病気の情報交換をしました。同じ病気の人でもわりと普通に生活している人の様子を知ることができて、病気のしんどさを少し軽くしてもらえました。
当時は友達や家族には病気のことをあまり相談できなかったので、つらい思いなどをアメブロに書いて吐き出すこともしばしばありました。

再入院から手術へ

大学院の2年間は病気と付き合うので精一杯のまま終了。またしても就職できずに卒業しました。
その後はハローワークで就活をしつつ、時間はあったのでアメブロのカスタマイズに挑戦し、webのコード(htmlやCSS)などを覚え始めました。

とそんなある夏の日、体調が急変。病院に行くとそのまま入院することに。
その日から2カ月間の絶食、そして手術。結果2カ月半でなんとか退院できました。

手術が決まった時、不安な気持ちをtwitterで投稿すると、同じ病気の手術経験者の方から色んな励ましをもらい、何とか乗り越えました。

手術により体調も前よりは良くなり、修行のような入院生活を通して、病気のことは結構受け入れられるようになっていました。
入院中は自分の生き方を考えさせられたり、人生観を変えられるような色んな事があって、ちょっと悟りを開いた気がします(笑)

ネットで見つけたインターンシップ

退院しこれからどうしようか考えていた時、たまたまネットで見つけたのが、高知県にある「四万十ドラマ」という会社でのインターンシップでした。
1か月間住み込みで道の駅で働き、地域活性のプロジェクトを体験するという内容でした。

田舎出身なので元々地域のことに興味もあり、大学院時代は勉強のテーマにもしていたため、思い切って参加しました。
そこでとってもステキな生き方・考え方の方々と出会い、大きな影響を受けました。
中でも、デザイナーの梅原真さんと初めてお会いしたことは、すごく貴重な経験でした。今でも一番の尊敬する人です。

職業訓練を機に、事業運営やWebについて本格的に勉強するように

インターンシップから帰ってきたものの、次の考えはなく、何をしよう、実家に帰ろうか、、、と思っていた時にハローワークで、職業訓練を見つけて参加。
珍しいテーマで「NPO・ソーシャルビジネスなどの運営を学ぶ」というものでした。

この頃には、さすがに難病で普通の企業に就職することは難しいだろうと思い、自分で何か仕事ができないか、とか、自分と同じように困っている人のために何かできないかと思い始めていたころなので、興味関心とぴったり!

社会の課題解決のために事業を運営していく方法を知るとと同時に、運営に大切な情報発信・Webマーケティングについても学ぶことができました。
この頃には、アメブロのカスタマイズからステップアップして、WordPressを独学で触ったりしていたため、ますます興味を持ち、本格的にWeb制作について勉強するようになりました。

NPOに就職、Web屋としてスタート

職業訓練が終わり、その後たまたまのご縁で、難病の人の就労支援をしているNPO法人の方と出会いました。さらに幸運にも「今度、webの事業を立ち上げるからうちに来ない?」というお誘いをいただき、二つ返事で就職。だいぶ遅くなりましたが26歳の年にやっと働き始めることができました(笑)

WEBの実務経験がなかったので、NPO法人とつながりのあったweb制作会社さんに出向する形で、実務経験を積ませていただくことに。

NPOの職員として仕事もしつつ、制作会社さんで勉強もさせていただきつつ、プライベートでもサイトを作ったりして経験を積みました。
セミナーにもたくさん参加してとにかくスキルアップに励みました。

2016年独立

NPOで働かせてもらっている4年ほどの間に、再び自分の体調の変化や、家族ができるなど生活状況の変化もあって、柔軟な働き方がしたいと思い、2016年30歳の時に退職。
個人事業主として独立しました。

小さな会社、NPO法人、個人事業の方たちへのヒアリングを大切にし、見に来てほしい人が求めている情報を引き出し整理して伝えることで、集客につなげるHP制作を行ってきました。
意図したとおりにアクセスが増え、集客につながる達成感はとてもありました。

この仕事の課題も感じるように

やりがいのある仕事の一方で、2012年からWEBの仕事を始めて7年ほど。この間に色んな事業主の方ともお会いしてきましたが、残念な気持ちになることもありました。
例えば

・HPを作ったけど更新費用が高いから作った当時のままのHP…
・他の仕事で忙しくて更新が後回しになってしまって放置されているHP…
・とりあえずHPを手作りしてみるものの自己流なので効果が出ず放置されているHP…

せっかくいい商品・サービス・取り組みをされているんだけど、情報発信が上手くできてなくて価値ある情報が埋もれてしまっているHPの多いこと…。

予算が多くある依頼だったり、すでに集客できているけどもっと集客したいという依頼などもやらせていただきましたが、そうしたHPは、ある程度情報を必要な人に届けることができます。
でも

  • ネットが苦手
  • 情報発信も下手
  • 予算やノウハウもあまりない

そんな会社のHPではきっとずっと情報は埋もれたまま。必要としている人にも届かず、提供する側も繋がりたい人と繋がれない。

自分が病気をした時に、サポートや支援の情報、病気でも普通に生活している人がいるということを知りたかったけど知れなかったように、必要な人に大切な情報が届いてないのかと思うととてももったい、なんとかできないんだろうか、、、ともやもやした気持ちになることがよくありました。。

情報発信のアドバイザーとして

そこで発信が苦手な方をサポートするために、「Web制作」から「webで情報発信する方法をアドバイスする」ことにシフトしました。

すでにHPのある会社、自分で作っている人はたくさんいらっしゃるので、そんな方にどうしたらうまく、届けたい人に届けられるのかをアドバイスするようになりました。

WEB制作のような多くの予算もいりません。身につけたノウハウは自分でその後も情報発信に活用し続けていただけます。
WEB制作だと1案件に多くの時間がかかるので僕自身が担当できる数も限られましたが、アドバイスならたくさんのHPに関わることもできます。

ネットが苦手、発信できていない小さな会社や個人の情報発信力がアップすれば、価値あるのに埋もれている情報にアクセスしやすくなります。
それを必要としている人に届けば、困っている人が少しでも少なくなると思っています。

自分自身がネットを楽しみ、またネットで色んな可能性を広げてきました。
ネットが苦手な事業者の方もネットを活用することで、本当にあなたの商品サービスを必要としている人と出会って、色んな可能性を広げていってほしいと思っています。

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